マネージャーの心理的安全性は、誰が守るのか
最近、引っかかっている言葉があります。心理的安全性です。
流行り言葉のようになっていて、私自身もよく使います。何を言っても罰せられない、評価を下げられないと感じられる状態。それをリーダーが作り、メンバーが率直に話せるようにする。学び直すたびに大事だと思うし、自分ができているかというと怪しいとも思います。
ただ、経営大学院のクラスメイトとの勉強会で、ふと口にした疑問があります。心理的安全性は、いつもメンバーに向けて語られる。でも、メンバーの失敗を許して待てるかどうかは、マネージャー次第です。そのマネージャー自身に、失敗を待てるだけの安全があるのだろうか、と。
マネージャーを縛る三つの不安
考えてみると、マネージャーが部下に失敗させられない理由は、性格ではなく環境にある気がします。
一つ目は、失敗を待つ時間が、自分の評価で許されていないこと。四半期の数字を持っているマネージャーにとって、部下の失敗を「学習」として待つことは、自分の成績を削ることと同じです。
二つ目は、厳しくすると辞められるかもしれないこと。人手が足りない中で、一人抜けたらチームが回らない。だから言うべきことを言えない。失敗を指摘することさえ、リスクになる。
三つ目は、情報を上に上げると損をすること。うまくいっていないことを正直に報告した人が、その後どう扱われるかを、みんな見ています。
勉強会で、銀行で新規事業を進めている方が「この事業は成功以外ありえない、という空気がある。中間管理職は本当に意見が言いづらい」と話していました。それを聞いて、私も含めて誰も反論しませんでした。業種が違っても、同じ空気を知っているからだと思います。
数字にも出ていた
後で調べてみると、この感覚を裏づける研究がありました。2025年にハーバード・ビジネス・レビューに掲載された、1,160人のマネージャーを対象にした調査です。心理的安全性のスコアは100点満点で、中間管理職が68、経営層が72.7。中間管理職は経営層より低いだけでなく、職場の中で最も低い層でした。上に行くほど安全になるという単純な話ではなく、真ん中が一番苦しい。しかも部下の目には、上司は本人が感じているより4ポイントほど安全そうに映っていたそうです。マネージャーの不安は、周りからは見えにくい。
原因として挙げられていたのは三つです。昇進すると失うものが増えて、正直に失敗できる余地が減る。現場には仲間がいて経営層には同格の相談相手がいるのに、中間には横のつながりがない。そして、上の人が自分の弱さを見せないので、完璧が期待されていると思い込む。
読みながら、これは中間管理職だけの話ではないと思いました。
安全は、上から流れてくる
心理的安全性は、リーダーがメンバーに「配る」ものとして語られます。でも、配る側が誰からも供給されていなければ、配りようがない。上が「成功以外ありえない」と構えていれば、その下のマネージャーは「失敗から学ぼう」という顔をメンバーに向けられない。安全は、上から下へ流れる。途中で止まれば、その下は乾く。
私が普段関わっているのは、中小企業やオーナー企業が中心です。そこで何度も見てきた構造があります。経営層は「チャレンジしろ」と言う。でも失敗を口にすると損をする。だから現場は、失敗が失敗として見えないように、あとから効果を測れない形で施策を動かす。一、二ヶ月たって、成功も失敗も測れないまま施策は立ち消える。社長から見れば「まともに動かずに終わった」ように見える。そしてまた「チャレンジしろ」と言う。
これは現場の問題でも、マネージャー個人の問題でもなく、その上の安全性の問題なのではないか。今はそう思っています。オーナー企業なら、最上流は社長本人です。社長も、銀行や株主や家族に対して、失敗を見せられない。そこで止まった安全は、下まで届かない。
自分に返ってくる問い
ここまで書いて、自分に返ってくる問いがあります。
私はまだ、自分で率先して手を動かしてしまうことが多い。少しずつ任せる側に移っているつもりですが、気づくと自分がやっている。これまでは、任せる相手の経験や、自分のこだわりの問題だと思っていました。でも、もしかすると違うのかもしれない。任せた相手が失敗するのを、私が待てないのではないか。待てないのは、自分の安全が足りていないからではないか。そう考えると、次の問いが出てきます。私の安全は、誰から供給されているのか。
コーチ、経営の壁打ち相手、勉強会の仲間。そういう場があるから、私は自分の失敗を口にできています。ただ、それで十分かというと、正直分かりません。仲間には失敗を話せても、クライアントの成果や会社の数字に対しては、失敗を待つ余裕を誰かからもらっているわけではない。供給されている領域と、されていない領域がある。逆に言えば、そういう場を一つも持たない経営者は、誰に対しても失敗を見せられないまま、下に「チャレンジしろ」と言い続けることになる。
私の会社では「誰もが晴れやかな表情で働ける社会を築く」という言葉を掲げています。この「誰もが」の中に、マネージャーも入っているだろうか、と最近考えます。メンバーが晴れやかに働くために、マネージャーが晴れやかでない組織は、たぶん長くは続かない。誰かの安全を、誰かの不安で支える構造は、どこかで破綻する。
いま、考えている途中のこと
そこで、いくつか試そうとしていることがあります。
一つは、任せるときに「何が起きたら止めるか、どこまでは待つか」を、先に数字で合意しておくこと。たとえば「この数字が二週間出なければ一緒に見直す。それまでは口を出さない」というように。待つ基準がなければ、待つことは我慢になってしまう。基準があれば、待つことは設計になる。
もう一つは、私自身が先に、うまくいかなかった話をすること。上が弱さを見せなければ、下は完璧を期待されていると思い込む。これは研究の結果でもあり、自分の実感でもあります。
そして、任せる側の人たちが、罰なしで本音を話せる場を作ること。これはまだ形になっていません。
心理的安全性を作るリーダーになりたい、と思っていました。今は少し違います。心理的安全性を作るリーダーが、安全でいられる環境を作りたい。自分も含めて。
あなたの組織で、マネージャーは失敗を待てていますか。そして、そのマネージャーの安全は、誰が守っていますか。私自身は、まず自分の供給元を確かめるところから始めています。
「誰もが晴れやかな表情で“はたらける”社会を築く」。HaReの考え方はこちらから。
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